さて。
いいかげん、サムいクロサワ楽器disエントリをトップから流してしまわねば、そろそろ訴えられてしまうんじゃないかと思うので(←被害妄想?加害妄想?)、新しいエントリをデッチ上げることにする。
みなさんあけましておめでとうございます。もう2月です。立春も過ぎましたね。松開けたとかいうレベルじゃねえぞ俺。
昨日、というか今朝方まで2chの過去スレを読んでいました →プログラマー遠藤雅伸氏が答えるスレ
寝たのは朝7時くらいだったかな。で、9時半くらいに目が覚めました。普段なら二度寝を決め込む所なんですが。
夢を見たのです。
妙に現実味があるのに現実離れした夢というか。意味分からんなそれじゃ。己の過去の出来事に肉付けした感じ。まったくの非現実ではないけど、現実より大げさ。そんな夢。
もちろん過去に遠藤雅伸氏に会った事などありません。2chの過去スレに影響されて出てきたのは、すげえ昔、「ゲームを作る人になりたいなあ」と思っていた頃の私でした。
で、まあ、その夢に触発されて、最近TwitterでX680x0の話題で盛り上がってた日があったなーとか、過去に書いた恥ずかしいプログラム(←エロいという意味ではないよ)の事などを思い出してしまったので、とりあえず書き留めておこうかと。
読んだ人が面白いかどうかは知らん(ぉ
その時代を思い出そうと思い、iTunesでさだまさしのライブアルバムをBGMにしております。ははは、トークで「17周年のコンサート」って言ってますよ。もう今年で36周年なんだよなーさだまさし。聴いてる私も年食う訳ですよ。
1970年代の後半に産まれた人にとって、最初のパソコン(もしくはマイコン)というのはおそらくMSXが多いのではないでしょうか。
「いや、俺はSEGA SC-3000だったぞ」
「ぴゅう太でしたが何か?」
「ファミリーベーシックなんですけど……」
などと、異論のある方もおられるでしょうが、私はMSXでした。無印のやつ。2でも2+でもなく。フロッピードライブも無いくせにカートリッジスロットは3つもあるという良く分からない仕様。
何故MSXを選んだかと言えば、それはもう、安かったからに他なりません。さすがに型落ちとはいえ、1万円で買えるパソコンなんて他には無かったですよ。
ここでセコい買い物をしたせいで、友人から借りたMSX2のゲームが動かなくて頭を抱える事になるのですが、買って喜んでる頃の私はまだ知るべくもありません。
まあ、当時ファミコンも出てたしね。ファミコン、セガSG-1000、スーパーカセットビジョン、そういったゲーム専用機に比べるとMSXのゲームは色数もスクロールもショボく見えた物です。
小学校時代に「公園で遊ぶ」から「ゲームで遊ぶ」にパラダイムシフトした(←難しい言葉をわざわざ使うなと言うのに)最初の世代なのかも知れませんね、私らの年代は。
今にして思えば、ここでまずゲームプログラマーになれるか否かの最初の振るいにかけられていた訳です。
- 最初のパソコンをどう見ていたか。ゲーム機? プログラミング可能な機械?
- すがやみつる先生の「こんにちは!マイコン」を読んでいたか?
- 「こんにちは!マイコン」や、その他のゲームプログラムが載っている書籍を読み、そのプログラム(多くはBASICだ)を実際に打ち込んだか?
- プログラミング(←というのもおこがましい)した物がちゃんと動いたか? 「Syntax error」や「Illegal function call」に挫けず動作するまで行けたか?
- 打ち込んだプログラムを実行後、(たとえ下らない事でも)改造をしたか?
打ち込んだゲームが楽しかったのもありますが、プログラムを記録可能なパソコンではなかったからですね。たとえもう1万円高くてもフロッピードライブ搭載のパソコンを買うべきだったのでしょう。
……と、自分以外に責任転嫁するのも、ゲームプログラマーになれなかった理由のひとつですね!同じプログラムを何べんでも打ち込めば良かったんですよ!覚えてしまうぐらいにね!タイピングの速度もさぞ上がっていた事でしょう。
フロッピードライブの付いたパソコンを買うまでには数年を要しました。
中学2年だったか3年だったか…… 買ったのはPanasonicのMSX2+です。本当はturboRが欲しかったんですが、高かったんだよなー。まだ出たばかりで、7万円以上はしてました。私の買ったMSX2+も5万円台程度はしていたので、中学生にはデカい買い物でしたよ。その金をスーパーファミコンのソフトに使わなかっただけでも、当時の自分を褒めてあげたい気がしますよ!
その頃買っていた雑誌はMSX-FAN。MSXマガジンと人気を二分していました。たまにマイコンBASICマガジンを買う事も。ログインなんかは高級パソコンの雑誌のイメージ。図書館で借りて高嶺の花であるPC-9801なんかのゲームの記事を読んでました。PC-9801シリーズなんて当時30万円以上はしてたでしょう。自分ごときがいじっちゃいけない様な。あと、エロゲの広告ページとかも目当てで読んでたりして。
今考えてもMSX-FANのプログラムのレベルは異常でした。BASICはBASICなんですが、最初の数行だけBASIC文で書かれていて、後の数十行・数百行は全部コメントになっていて、それが実はマシン語だったりとかする訳です。PEEK/POKE文なんて、今見ても頭痛がしそうです。当然、「Z80」なんて言葉も知らない私に改造なんて出切る訳も無く。
パソコン通信もやってました。MSX専用のネットワークでTHE LINKSというものがありました。今リンク先見て知りましたが1,200bpsだったんですな……遅い訳です。県内に局が無かった私は名古屋の局に繋げていて、電話代で親に怒られた事も一度や二度ではありませんでしたねー、ははは。そりゃ、電話代が月5万円とか怒られて当然ですわな。
しかし、コンピュータ同士をつなげてコミュニケーションを取る事の楽しさをいち早く体感できた事は本当に良かったと思っています。親には本当にゴメンナサイだが(汗
さて。
やがて、MSX-FANにフロッピーディスクが付属するようになり、雑誌に載っているゲームを遊ぶのにプログラミングをする必要は無くなります。それに従って、私の興味はBASICプログラミングから離れていく事になります。
BASICプログラミングに興味を失った私は何をしていたか? 大半はストリートファイターIIやネオジオの各種格闘ゲームでしたが(汗
それと前後してハマっていた物。(BASICプログラミングの一種ではありますが)MML打ち込みによってMSX2+のFM音源を鳴らす、いわゆるDTMです。
どのくらいハマっていたのかというと、高校受験当日の朝までMMLを打ち込んでいたという有様。それでも志望校に受かったしまったという辺りで、私は人生の運をかなり使ってしまったのではないかなあと、今となると思う次第ですが。とりあえず「私とコンピュータ」その1 MSX編はこのあたりで一区切りですな。小・中学生編か?まあどっちでもいいんですが。
なんか予想以上に長くなってきたのでいったんここまででアップ。愛知県知事と名古屋市長と名古屋市議会解散の投票にも行ってこねばな。
昔っからパソ通やってる割にはタイプが遅いんだよ私は。タッチタイプも出来ないしな……